「五戸町有古文書調査」は、私が青森県五戸町から委託を受けている受託研究である。弘前大学は令和5年(2023)4月14日に五戸町と「五戸町と国立大学法人弘前大学との連携協力に関する協定書」を締結し、地域産業の振興や地域文化の振興など、様々な分野において「相互の密接な連携と協力」を行うこととした(1)。本受託研究も連携協力事項の一つとして位置付けられ、「五戸町有古文書」(大部分は「圓子家文書」)の調査をメインとするものである。期間は令和5年(2023)度から8ヶ年(予定)であり、1万点超の古文書を整理・研究する。最終的には古文書1点ごとのリストと、古文書を用いた研究論文を掲載した報告書を完成させるとともに、地域住民向けのシンポジウムも開催する予定である。すでに開始から1ヶ年が経過したが、本受託研究の経緯について改めて進捗とともに振り返っておきたい。
そもそも「五戸町有古文書調査」は、令和3年(2021)11月に弘前大学八戸サテライト(2)より依頼を受けたことに始まる。同サテライトでは五戸町が膨大な古文書を保有しながらも、専門家不在のために死蔵せざるを得ない状況にあることを認識していた。私はその年の11月に弘前大学に着任したばかりであったが、早速「五戸町有古文書」を視察しに行くことになったのである。
写真1
古文書は町唯一の博物館と言える「ごのへ郷土館」(3)の一室に段ボールで山積みにされていた(写真1)。その数は43箱であり、中にはぎっしりと古文書が詰め込まれていた。このとき見たのは「圓子家文書」であり、同文書以外にも数千点の古文書があるという。案内してくれた村本恵一郎氏(五戸町教育委員会教育課社会教育班長・当時)と協議に入り、翌年度=令和4年(2022)度いっぱいをかけて予備調査を含めた準備を行い、翌々年度=令和5年(2023)度から受託研究として着手することに決した。最も心配だったのはマンパワーの問題である。「圓子家文書」だけでも1万点を超えると言われており、独力では到底調査することができない。全ての古文書を一旦弘前大学で預かって学生たちとともに調査することも考えたが、①文化財の移動は散逸のおそれがあること、②文化財発生地で調査してこそ地域住民の意識も高まること、を意図して、メンバーを募り、現地に通いながら調査を行うことを五戸町に提案した。提案は了承され、令和4年(2022)8月に「五戸町歴史資料等整理検討委員会」が発足することとなる。同会は、委員長に私、副委員長に鈴木淳世氏(東北大学東北アジア研究センター学術研究員)を据え、藤田俊雄氏(青森県文化財保護審議会副会長)・熊谷隆次氏(八戸工業大学第二高等学校教諭)・中野渡一耕氏(青森県環境生活部環境政策課総括主幹・当時)・滝尻侑貴氏(八戸市立図書館歴史資料グループ主査兼学芸員)で委員を構成する。五戸町教育委員会が委嘱する委員会として組織されたことからも窺えるように、準備期間の令和4年(2022)度は五戸町の直営事業として始められたのである。委員会の発足と同時に第1回検討委員会を開催した(令和4年〔2022〕8月11~12日)。検討委員会では私が作成した「全体計画(案)」及び「歴史資料等整理方針(案)」をたたき台として協議を進めていった。中でも熊谷氏は学生時代に「圓子家文書」の一部を整理・調査し、学位論文を作成した経験を持つ。ゆえに同氏に圓子家及び「圓子家文書」に関するレクチャーをお願いし、それに基づくかたちで「全体計画(案)」「歴史資料等整理方針(案)」をブラッシュアップしていった。同様の作業を第2回検討委員会(令和4年〔2022〕9月18~19日)、第3回検討委員会(令和5年〔2023〕2月23~24日)でも行い、計画・方針の内実を徐々に詰めていったのである。第2・3回検討委員会ではメンバー全員で予備調査にも着手し(写真2)、必要な備品・消耗品等の洗い出しも行っていった。また旧圓子家住宅(県重宝)・五戸代官所跡などへ巡見にも出掛け、「五戸町有古文書」の生成地の感覚を掴んでいったのである。
写真2
このようなかたちで3回の検討委員会を開催し、令和5年(2023)度に向けての準備をしていったが、委託料(受託研究費)がかなりの額に積み上がっていることが発覚した。備品・消耗品費が嵩んだことが原因としてまず挙げられるだろう。ただし、これは一因に過ぎず、究極的な理由は、近隣の自治体学芸員や専門家、県外の大学院で日本史学を専攻する大学院生にも積極的に声を掛けていたからである。マンパワー問題解消のために多くの参加を呼び掛けるほか方法がなかった。必要経費として五戸町に認めてもらい、予算として計上することとなった。自治体との事業は、基本的に要求通りの予算とならなくても事業を始めなければならない。通常、年度当初予算は前年度2~3月定例議会で審議され、認められれば次年度からの執行が可能となる。本受託研究は事業期間8ヶ年もさることながら、単年度の予算額も町の規模からしたら相当大きいものである。もし通らなければ、計画全体を見直さなければならない。否決されないことを祈りつつ、万が一に備えて他からの予算獲得にも奔走した。一つは弘前大学社会連携本部の弘前大学ハピネスプロモーション事業への応募、もう一つは弘前大学人文社会科学部地域未来創生センターの地域未来創生プロジェクトへの応募、である。幸い五戸町議会では否決されることなく満額が認められることとなった。同時に、応募していた2つの予算獲得にも成功し、大きく予算を膨らませたかたちでのスタートを切ることができたのである(弘前大学ハピネスプロモーション事業:令和5年〔2023〕度のみ、地域未来創生プロジェクト:令和5年〔2023〕度~令和7年〔2025〕度(4))。特に地域未来創生プロジェクト経費は、弘前大学学部生(日本史研究室ゼミ生)の参加費に充てており、実践的な調査方法を学ばせるとともに、様々な立場の人々との交流を目的に使用している。
1ヶ年目に当たる令和5年(2023)度は3回の調査を実施した。
令和5年(2023)8月8日(火)~12日(土)にかけて、五戸町立公民館で調査を行った。初日は13時に現地集合したが、第1回調査ということもあって、若宮佳一氏(五戸町長)より挨拶があった。その後、前年度の検討委員会で協議した「全体計画」と「歴史資料等整理方針」を参加者全員で共有し、調査に取り掛かることとなった。必要な備品・消耗品は事前に私の方で購入し、五戸町への送付を完了させていた。調査はExcelフォーマットに必要事項を逐一入力していくかたちをとった。一人当たりの調査点数(目標)は30点/日であり、全員で1回調査800点を目指すものである。初日こそ午後から始まり、試行錯誤が続いたが、2日目以降はペースを掴み、効率的に調査を進めていくことができた。結果、第1回調査にして目標点数を大きく上回る1,193点を完了させることができたのである。ただ対象とした箱番号1~5(「圓子家文書」43箱のうち)の中には別の団体が過去に調査したものが含まれていたり、比較的調査しやすい古文書が集中していたりと、〝幸運〟に恵まれた側面があったことは否めない。また第1回調査ということもあって、参加人数が多かったことも奏功したことだろう。総延べ人数は40名で、うち9名が弘前大学学部生であった。
令和5年(2023)11月10日(金)~12日(日)にかけて、ごのへ郷土館にて調査を実施した。9時に現地集合し、17時までの調査を3日間繰り返し行った。総延べ人数18名、うち6名が弘前大学学部生である。本調査は当初計画になかったものだが、前倒しで調査を進めたいがために急遽実施することとなった。ゆえに日数及び人数が第1回調査と比べて少ない。しかし、519点の調査を完了させることができた。調査対象としたのは箱番号6~10であり、第1回調査の続きである。この中には襖の裏張りに使われていた古文書が剥がされて段ボールに詰め込まれたものがあり、調査するためには切断された古文書をパズルのように組み合わせて1点にしなければならない。通常の古文書と違ってひと手間かかる分、多くの労力を要する。現時点において襖の裏張り文書は「保留」にすることにし、調査方針の決定、道具の買い揃えを待つことにした。「圓子家文書」全体の把握が最優先事項であり、襖の裏張り文書は後回しにすることに決したのである。
写真3
令和6年(2024)2月28日(水)~3月3日(日)にかけて、五戸町図書館にて調査を行った(写真3)。初日は13時に現地集合して17時まで、残りは9時から17時まで調査した。総延べ人数は43名、うち10名が弘前大学学部生である。第2回調査において襖の裏張り文書については「保留」としたため、それらを除く箱番号6・20~22・25・26を対象とした。結果、1,098点の調査を完了させることができた。またも目標点数800点を大きく上回ったのである。2月29日(木)午後には五戸町文化財審議委員会の視察が入った(写真4)。調査には直接関係がなかったが、私たちの事業を知ってもらうよい機会と捉え、「圓子家文書」概要や調査の進捗状況などについて丁寧に説明した。古文書調査事業はややもすると報告書作りに没頭してしまい、地域の存在を忘れがちである。しかし、本事業は五戸町委託の受託研究。地域とのつながり抜きには成立し得ない。こうした説明も地域還元の一つと捉え、今後も積極的に行っていく所存である。
写真4
受託研究1ヶ年目に当たる令和5年(2023)度は3回の調査をもって終了した。(1)第1回調査:1,193点、(2)第2回調査:519点、(3)第3回調査:1,098点であり、合計すると2,810点となる。これは年度目標1,600点(800点×2回)を大きく上回る成果である。第2回調査を実施できたことが点数を大きく押し上げる結果となった。こうした成果を報告すべく、私は令和6年(2023)3月27日(水)に五戸町役場を訪れ、若宮佳一氏(五戸町長)らと対面。進捗状況を資料に基づいて説明するとともに、次年度調査の見通しについて述べた。若宮氏から激励があり、散会となった。ところで、参加メンバーの中でも、古川・鈴木・藤田・熊谷・中野渡・滝尻の6名は調査した古文書の中から各自2点ずつを選び、ごのへ郷土館で展示できるようなパネル作成も課題としていた。次年度に企画展を開催するためである。古文書に書かれた「くずし字」を翻刻し、内容や意義をキャプションとして200字でまとめる。初回ということもあって、「圓子家文書」に精通する熊谷氏に圓子家と「圓子家文書」の概要をそれぞれ400字で書いてもらい、残りの5名は自身の興味・関心に則ってパネルを作成していった。企画展は実際に令和6年(2023)5月16日(木)~9月1日(日)の間、ごのへ郷土館展示室にて開催された。その様子は新聞報道され(5)、地域住民にも私たちの取り組みが徐々に浸透していく様子を目の当たりにした。こうした企画展を毎年度実施することでより地域住民の意識を高めることができるだろう。そしてそれが私たちのモチベーションにもつながっていくはずである。
「圓子家文書」が大部分を占める「五戸町有古文書」は、現在全くの未指定である。『青森県史』などに多数引用されているが、全体像の把握がこれまでなされてこなかったためであろう。文化財指定には員数はもとより、歴史的にどのような価値があるのかが重要な指標となる。その点、「圓子家文書」を含む「五戸町有古文書」は部分的にしか解明されておらず、文化財指定の要件を満たさない。このたびの事業は、そのような状況に置かれてきた「五戸町有古文書」を整理・研究し、価値の顕在化を図ろうとするものである。1点ごとのリスト作成によって員数把握が可能となることは勿論、企画展示に供するパネル作成や報告書に掲載する研究論文の執筆を通じて、価値の顕在化を図ることができる。その先に文化財指定があるのであり、指定によって地域住民の意識もより高められるだろう。指定が成れば「五戸町有古文書」は条例の網にかけられることとなり、保護の対象となる。お世辞にも状態がよいとは言えない「五戸町有古文書」が保護される見込みがつくわけだ。地域住民の理解のもとに公金による修理が実施され、地元で長く保存されるような仕組み作りを本受託研究期間中に目指したい。まだ1年目を終えたばかりで、道のりは長く険しいことが想像されるが、参加メンバーとともに協力し合いながら進めていくことで困難も乗り越えられるだろう。進捗は新聞などのメディアを使って随時発信していくことにしたい。
「五戸町と国立大学法人弘前大学との連携協力に関する協定書」第1条。
弘前大学は産学官の研究協力、広報活動、その他教育研究に関する事業を行い、弘前大学と地域社会の密接な連携を図ることを目的として、八戸サテライト、青森サテライト、札幌サテライト、東京事務所を置いている(https://www.hirosaki-u.ac.jp/society/satellite/)。このとき八戸サテライトの窓口を担っていたのは大沢英教地域連携コーディネーターである。
ごのへ郷土館は旧五戸町立豊間内小学校を利活用し、平成30年(2018)6月26日に開館した。五戸町の埋蔵文化財(土器・石器等)、民俗文化財(農具等)、古文書、南部鉄道資料等を展示する(https://www.town.gonohe.aomori.jp/kurashi/kyoiku/gonohekyoudokan_kaikan.html)。
地域未来創生プロジェクトの中でも、地域資源研究プロジェクト「未調査資料の整理・研究と地域還元━━━五戸町所蔵「圓子家文書」を素材として━━━」(研究代表者:古川祐貴)として採択された(https://human.hirosaki-u.ac.jp/irrc/organization)。
『デーリー東北』令和6年5月22日付。
[追記]
本稿は、古川祐貴「未調査資料の整理・研究と地域還元━━━五戸町所蔵「圓子家文書」を素材として━━━」(『地域未来創生センタージャーナル』10、2024年)に追記のうえ改稿したものである。