弘前大学人文社会科学部
文化創生課程 文化資源学コース


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ゼミ・研究室紹介

文化財論研究室/関根 達人(教授)

はじめに

 文化財論研究室は、私が弘前大学に着任した2001年に開かれました。 文化財論コースには日本考古学・西洋考古学・日本美術史・西洋美術史・宗教学・民俗学など文化財を扱う研究室があり、 文化財論研究室は、それらの学問を連携・横断することを目指して活動しています。
 ここでは、研究室の活動と、研究テーマの一つである「中近世の蝦夷地と北方交易に関する研究」、そして私たち考古学者の「お仕事」について紹介させていただきます。

1.文化財論研究室の活動

文化財論写真1+2015年福井県敦賀市での石造物調査

 私たちの研究の目的は、文化財を通してそれを生み出した過去の社会を復元し、そこから現在・未来へと繋がる「生きる知恵」を探し出すことにあります。 人と自然が作り上げてきた文化財は、白神山地のようなものから土偶のようなものまで非常に多様です。 文化財論研究室では、人の手により作られた有形文化財や人が大地に残した生活の痕跡を主な対象として研究を行っています。 生の資料から新たな歴史を解き明かすことに喜びを感じてもらうため、文化財論ゼミナールに所属する学生には、 基本的には今まで誰も調べたことがない、新しく見つけ出した資料を扱ってもらっています。本やガラスケース越しでなく直に本物の資料を扱うことで、 モノからより多くのことを学ぶことができるのです。そのため、国宝や重要文化財に指定されているような資料とはあまり縁がありません。 むしろ「道端に転がっているようなモノ」の中から歴史的に重要な事実を導き出し、それらに文化財としての価値づけを行いたいと考えているのです。
 研究室ではこれまで、北海道・青森を中心に、お寺の過去帳・墓石・飢饉の供養塔・昔の仕事着・神社の奉納品・中世の山城など様々な文化財を調査してきました。 2015年からは、「石造物研究に基づく新たな中近世史の構築」というテーマで、日本海交易をとおして北日本とも深いつながりがある福井県内の港町で、 墓地や神社の境内にある中世・近世の石造物の調査を行っています(写真1)。

2.「中近世の蝦夷地と北方交易に関する研究」

 現在日本が抱えている政治的課題のなかに、先住民であるアイヌの人たちに対する偏見や差別の問題と沖縄の基地問題があります。 この二つの問題の背景には、日本という国家がこれまで歩んできた内国化という歴史が横たわっています。 日本の南北極にあるこれらの課題は、現地(北海道・沖縄県)とそれ以外の都府県とで温度差が著しい点も共通しています。
 昔、アイヌ民族の土地であった場所は、歴史上「蝦夷地」[北海道・旧樺太(サハリン)・千島(クリル)]と呼ばれていました。 蝦夷地は、中世・近世日本の国家領域の周縁部にあたります。本研究では、中世・近世の多様な考古資料や古文書・絵画資料などを駆使して、 津軽海峡や宗谷海峡を越えたヒト・モノ・情報の実態を明らかにし、「蝦夷地」へ和人がいついかなる形で進出したか、 和人や和産物(日本製品)の蝦夷地進出がアイヌ文化の形成と変容にどのような影響を与えたか、蝦夷地の内国化がどのような形で進行したかなどについて検討しました。
 江戸時代までは、弘前大学のある青森県内にもアイヌの人々が暮らしていました。弘前藩やその当時下北を領有していた盛岡藩は、 領内に異民族を抱える「他民族藩」だったのです。本研究では彼ら本州アイヌの生業を例に、日本国内経済圏へ取り込まれることで、 アイヌの生業は、動物性の油・皮革・熊の胆やオットセイなどの薬材といった和人の求めに応じて、次第に特定の狩猟・漁撈に専業化し、 和人との交易を前提とした社会へと変容したことを指摘しました。
 アイヌ社会に受容された和産物(日本製品)では、生業や日常生活に不可欠な鉄素材・鉄製品とともにアイヌの人々が宝物とするような刀・ 鎧・漆器などの「威信財」と酒・タバコが常に大きな比重を占めていました。
 威信財のなかでも特に刀は重要で、何か問題が起きた際に賠償や担保になりました。刀はアイヌ社会の集団関係や和人と関係性を維持・ 保障する重要な役割を果たしていたのです。一方、酒とタバコは、松前藩や幕府、蝦夷地交易に携わる商人によって、アイヌ支配の道具として利用されました。 アイヌの人たちは和人によって「酒とタバコ漬け」にされていたのです。
 また、本研究では、アイヌの人々が使わなかった陶磁器類や石造物を通して、蝦夷地へ和人が進出した過程を復元しました。その結果、 北海道の日本海沿岸部へは18世紀頃から海産物を求めて多くの和人(民間人)が進出したのに対して、太平洋側へ和人が本格的に進出するのは、 ロシアとの緊張関係が高まった19世紀であり、主に北方警備を担った幕府や東北諸藩の武士が多かったことが分かりました。
 興味を持たれた方は、下記の書籍をご覧ください。
『モノから見たアイヌ文化』(詳しくは下記URL)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b227422.html
『中近世の蝦夷地と北方交易』(第6回日本考古学協会大賞受賞)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b182793.html
『季刊考古学133号 特集 アイヌの考古学』
http://www.yuzankaku.co.jp/products/detail.php?product_id=8259
『松前の墓石から見た近世日本』
http://www.h-ppc.com/single.php?code=386

3.考古学者の「お仕事」

文化財論写真2 2011年北海道北斗市矢不来館跡の発掘調査

 学生や一般の方を前に、自分の歴史研究の方法について話をする際、刑事事件や医療に例えます。
 歴史研究が刑事事件だとすれば、古文書を扱う研究者や聞き取り調査を行う民俗(民族)学者は、取調室で容疑者や関係者から事情聴取し、 事件現場周辺で聞き込みを行う「刑事」です。我々考古学者は、現場検証を担当し、現場や関係個所から押収された物的証拠に基づき犯行の具体像を浮かび上がらせる 「鑑識」ということになります。
 刑事事件に刑事と鑑識の両者が必要なように、歴史研究も多角的な立場から進める必要があります。刑事事件では容疑者の自供が得られた場合でも、 自供を裏付ける物的証拠が必要とされます。同じように、歴史研究では事の詳細を伝える古文書や証言が存在する場合でも、それらにウソや誤解がないか、 「モノ資料」によって検証する必要があります。刑事事件で容疑者が黙秘している場合に鑑識の役割がより重要になるように、 古文書や証言が乏しいケースでは我々考古学者が大活躍しなければなりません。
 まさにアイヌ文化はそうしたケースに当てはまります。関係者(和人)からの供述(古文書)は得られても肝心のアイヌの人々は文字を使わず、黙したままです。 また18世紀以前のこととなると、関係者の供述も少なく曖昧です。考古学者が「物証」を探し出さなければ、この「難事件」は解決しません。
 歴史研究を医療に例えるなら、古文書を扱う研究者や聞き取り調査を行う民俗(民族)学者は「内科医」や「放射線技師」・「薬剤師」で、 発掘調査を行う我々考古学者は「外科医」と言えるでしょう。体への負担を考えできるだけ手術は避けた方がいいように、 破壊を伴う発掘は歴史研究でも最終手段といえます。しかし手術でしか治し得ない病があるように、発掘でしか分からない歴史が存在することも事実です(写真2)。

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