弘前大学人文社会科学部
文化創生課程 文化資源学コース


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ゼミ・研究室紹介

民俗学研究室/山田 嚴子(教授)

はじめに

 東日本大震災が起こった後、たくさんの学問分野が被災地の調査に関わり、問題点を指摘したり、分析したり、今後の方針を示したりしました。 その中で民俗学者らしい仕事を黙々と続けている研究者に川島秀一さんがいます。気仙沼市に生まれ、海に生きる人々から多くの聞き書きをしてきた川島さんは自身も被災します。 川島さんと柳田國男の研究で知られる石井正己さんは2011年6月、すなわち震災のわずか3ヶ月後に、民俗学者山口弥一郎が1943年に刊行した『津浪と村』を復刊します。 この本は昭和8年(1933)の三陸大津波で被災した村を歩き続け、津波という非日常の出来事の裏側にある日常性を問題にし、そこを見据えて根源的な防災と復興を論じた本でした。 山口は高台に移住した被災地の人々がやがてもとの場所に戻ってきたのはなぜか、と問いかけます。

 今日の問題を短いタイムスパンで考えるのではなく、歴史的経緯を押さえながら、人々の生活の現場から問うこと、山口弥一郎のこの問題意識はまた、 多くの民俗学者に共通するものだと考えます。 また、民俗学を学ぶ学生たちがフィールドを通じて身につけていく姿勢だともいえます。

1 民俗学研究室の活動

 民俗学の研究の目的は、日常意識されることの少ない慣習的な行為やことばを調査することを通して、 人間の生き方を深いところで決定していく集合的な文化を明らかにすることにあります。 また、その過程を通じて、自身が育ってきた文化を振り返ったり、違う文化で育ってきた相手の行為や発想についての理解を深めたりします。 民俗調査のフィールドから帰った後、自身の郷里が新鮮に映った、と語る学生も少なくありません。

 民俗学実習では、調査地を決めて2年間その土地に通い、地域に住む人々との対話を通じて、生活文化の諸相を明らかにします。 統一したテーマで全員が調査に当たるのではなく、小グループに分かれて、それぞれテーマを決め、聞き書きや観察を通して資料を蓄積します。 仮説を立てて調査地に入っても、思うような資料が集積できないことが多いので、資料を分析しながら、仮説を微調整してゆきます。 実習中は毎晩ミーテイングを開き、データを共有しながら、それぞれの問題意識を持ち寄って協議します。

 実習で聞き取ったデータは最終的には当該地域の人々と民俗文化に関心を持つ人々が共有できるように1冊の報告書として刊行します。 現在まで青森県や岩手県を調査地として6冊の報告書を刊行しています。そのうちの1冊『鬼神社の信仰と民俗』(2014年3月)は 美術史や保存科学の分野と協同して刊行しました。

 学生たちは実習での経験をもとに卒業研究に向かいます。民俗学専攻の学生たちの卒業論文や修士論文の一部は 『青森県の民俗』『東北民俗』などの雑誌や『日本民俗学』の卒業論文・修士論文発表会の発表要旨集などで読むことが可能です。 夏泊半島のオコモリや東北の神社の管理者であるベットウの問題、住み込みの奉公人であった津軽のカリコが経験した「近代」の問題、 家の神が共同性を帯びてゆく過程、今日の津軽地方のオシラサマ信仰を支えている環境や条件、芸能を支える仕組み、 食をめぐる経験と語りなど多様な論文が活字化され、また研究室の学生たちに「問題」として継承されています。

 2015年度は2015年4月に廃館になった三沢市の小川原湖民俗博物館の旧蔵資料の一部を預かり、 その文化史的な価値を広く知らせるために弘前大学資料館で特別展「小川原湖民俗博物館と渋沢敬三展―青森県における民具研究の意義―」を開催しました。 実習の学生たちが資料整理から展示までを行いました。また弘前大学COC推進室と協同して民具の保存と活用について学生、市民、文化財関係の人々が話し合う場を設けました。

2 「民俗の再文脈化に関する研究」

 日常にある「当たり前」を問うことが民俗学者の「仕事」です。しかし、かつての「当たり前」は時代の変遷とともに「奇妙な」ものに見えてきます。 また、新しい意味や価値が加わることがあります。「第二次世界大戦下のオシラサマ信仰と民間巫者」「民俗信仰の再文脈化をめぐるダイナミズム」という 研究ではオシラ神や民間巫者をめぐる「文脈」の変化と今日的な意味を明らかにしました。

 「マイノリテイをめぐる語彙と文脈―芝正夫と福子―」(小池淳一編『民俗学的想像力』)という論文では、「福祉」や「人権」という 概念に包摂される以前の「独立して生計を営むことのできない人」たちの記憶と忘却、再文脈化(新しい価値づけ)の問題を論じました。 前向きな明るいことばやキャッチフレーズが相対的に弱い立場の人々の「歴史」を簒奪する結果につながることは、 「地域創生」や「地域の資源化」などの問題を考える際にも有効な視点であると考えます。

3 民俗学者の「お仕事」

 民俗学の仕事の基本は「声なきものの声を聞く」ことにあると考えています。 誰もが自己を自在に語ると思われている現在、誰の声が相対的に「小さい声」となっているのか、メディアにのりにくいのか、 そのような声をどのような方法で聴くことが可能なのか、を考えています。宮本常一のいう 「忘れられた日本人」(ここでは「日本人」に限定しませんが)にならって、 どのような人々の歴史や経験が忘れられようとしているのか、を問いたいと考えています。 その時々の主流ではなくオルタナテイブな道を示すことが民俗学の存在意義だと考えています。

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