弘前大学人文社会科学部
文化創生課程 文化資源学コース


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ゼミ・研究室紹介

日本近現代文学研究室/尾崎 名津子(准教授)

「日本近現代文学」を「研究」するとは?

いきなり少々抽象的な話をします。しばしお付き合いください。
「日本近現代文学を研究しています」と言うと、しばしば「それは読書感想文とどう違うの?」と訊かれます。たしかに、文学研究においてもその出発点には「私はこう感じた」という手触りやひらめきのようなものがあるでしょう。そうしたインスピレーションを元手としつつ、改めて精緻に文学作品を読解し、先行研究はもちろん、文学理論や現代思想、作品が発表された時代の社会状況などを参照しながら、自分が立てた問題設定に対する応答となる「文学作品の論理」を見出す。これが研究ではないか、と、今は考えています。
この作業が既に読書感想文と一線を画していることは明らかでしょう。この過程には、思わぬ発見が満ちています。その発見は「常識」を覆したり、自分の「思い込み」を指摘してくれたりします。私がお世話になった先生が仰っていたことですが、文学研究とは「新しい価値観を見つけること」なのかもしれません。これが、文学研究の醍醐味だと思います。
以下に、具体的な話をしたいと思います。


ただの物知りは要らない

 前言を撤回します。まだ抽象的な話が続くかもしれません。
 大学で文学研究をするかぎり、単なる物知りになるのではなく、自分の問題意識を持ち、それに基づいてテーマを設定し、資料を収集し、論理的な分析と考察を行い、自分のことばで表現できるようになってほしいと思います。これは私自身に対しても常に言い聞かせていることです。
 「神武天皇から今上天皇まで全部名前言える!」と言う人が、日本の歴史に知悉していることになるでしょうか?それと同じです。もちろん、卒業する頃には自分の研究対象について「なんでも訊いて!」と言えるようになっていてほしいと思います。つまり、知識があることは前提なのです。重要なのは、自分の中に知のネットワークを作ることです。
 こう言うと、厳しいような印象を受けるでしょうか。でも、大丈夫です。複数年かけてじっくりと、上に述べたような力を養いましょう。そうした力は社会に出てから直面するであろう様々な問題を解決する時に、きっとあなたのためになるでしょう。
 では、次は本当に具体的な話をします。


2・3年生の授業でやること

 2年生、3年生のうちに、演習を履修することが望ましいです。演習ではナラトロジーの手法を習得します。ナラトロジーとは、「何が書かれているか」ではなく「どう書かれているか」に着目し、小説の本文を分析する手法です。
 前期は、夏目漱石や森鷗外から芥川龍之介、川端康成、太宰治など、日本近代文学の著名な作家の短篇を分析します。まずは私が例を示し、続いて履修者が自分の好きな作家を選び、講義で学んだ分析手法を援用しながら「物語の語り方」について発表します。後期は、分析手法はそのままに、履修者の好きな作品を取り上げて発表してもらいます。詩や現代文学を取り上げる人もいます。


ゼミについて

 3年生からはゼミが始まります。3年生の間に、今度は資料収集や、それに基づいた言説分析の手法を習得します。ゼミは4年生と合同で行いますし、修士の学生にも参加してもらっています。様々な学年の人が集まることで、ゼミは大いに刺激的な場になります。
 ゼミでは一つの作品を全員で共有し、分担して注釈をつけています。注釈というと、文庫本の最後や現代文の教科書についている、「難解な言葉を説明したもの」というイメージがあるかもしれません。それは一般的に「語注」と言いますが、ゼミで重んじているのは「内容注」です。今は太宰治の『斜陽』を読んでいますが、たとえば作中人物の直治が言った、「ほんものの貴族」という言葉に注をつけた人がいました。「語注」であれば、「貴族」という単語をわざわざ調べるまでもないでしょう。ですが、「内容注」の観点から言えば、この言葉は重要です。ゼミでは、「ここで言う『ほんもの』とはどういう意味か」とか、「語り手のかず子はなぜこの文脈で弟・直治のこの言葉を引いたのか」などと、発表者の関心に従ってあれこれと話し合うことになりました。
 こうした話し合いの中では、『斜陽』の発表時期の社会状況や太宰治自身の状況が参照されることが多いです。ここで、資料収集の力が発揮されます。様々な資料を駆使して、たとえば、「敗戦直後から1947年(『斜陽』が発表された年)までの時期に、華族に対してどういったことが言われていたのか」をあぶり出すことも可能です。これが言説分析です。分析を踏まえて改めて『斜陽』の作品世界に戻れば、以前と印象が変わっていることでしょう。それを踏まえて更に一人ひとりが疑問を立て直し、また、応答をしていくことで、考える力が養われます。


卒業研究について

 ナラトロジーによる作品分析、資料収集に基づく言説分析の経験を経て、4年生になると卒業研究に取り組みます。これは、一人ひとりが自分でテーマを決め、扱う作品を選び、分析し、論理を立てます。
 ゼミの時間を使って中間発表をし、皆で議論するほか、個別の指導も行います。私自身の専門に関するキーワードは、「1930年代以降」「都市」「検閲」「戦争」ですが、「明治時代」でも「サブカルチャー」でも、日本近現代文学・文化に関わることであればなんでも受け付けます。学問的手法の確かさは失わず、固定観念や偏見にとらわれないしなやかさを養っていただけたらと願っています。


おまけ?――大学院について

 突然大学院と聞いても戸惑われるかもしれませんが、少しだけ紹介します。
 日本近現代文学・文化には様々な問題があります。それらはどこかで、あなたが今生きている場所とつながっています。弘前大学には大学院(修士課程)があります。大学院では個人の興味に即しつつ、日本近現代文学の文化的、歴史的な特性を把握し、そこにある問題を認識し、また、解決するための資料調査・分析能力や批評する力、それらを表現する力を涵養します。そして、高度なリテラシーとメディア・リテラシーを具え、ものを考えられる人になってもらいたいと、個人的には考えています。
 大学院の授業は、日本近現代文学を専門としない人も履修しています。やることは学部ゼミと根本的には変わりませんが、その情報や議論の精度は異なります。専門外の人も、自身の専門性を生かした発表をしてくれます。今は夏目漱石の初期短篇集である『漾虚集』(ようきょしゅう)を扱っていますが、「倫敦塔」を民俗学的アプローチで読み解いたり、「琴のそら音」における漢文脈の影響を探ったりといった発表がありました。私も含めて参加者が互いに刺激を受ける場を作れたらと思っています。
 日本近現代文学を専門としている人は、こうした授業の他に、修士論文の執筆に向けて個別具体的な議論を重ねています。研究テーマも、日本のミステリーにおける視覚と触覚の叙述に焦点を当てたものや、安部公房作品における都市表象と作中人物の身体性に着目したものなど、様々です。


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