みなさんにとって、博物館はどのような施設でしょうか?もしかすると、博物館は正しい知識を勉強しに行くところと考えているかもしれません。小中学生は博物館に学校の先生が用意した課題に対する答えを探しに行くことが多いので、博物館=勉強する場所になるのも無理はありません。
しかし思い出してみてください。動物園や水族館は法律上、博物館に分類される施設です。これらの施設に行く人々は勉強するというよりも楽しみに行くことが多いのではないでしょうか。そして楽しみながら、何かを学んでいるはずです。
ところが歴史や文化を扱う博物館に行くときは、勉強をしなければと身を固くしてしまいます。ここには2つの誤解があります。一つは、博物館は正しい答えを学ぶ場所である、という誤解です。もう一つは、勉強は与えられた課題を解決するもの、あるいは正しい答えを覚えるためのものであるという誤解です。
そのような視点で博物館を使うことも一つの方法ですが、博物館にはもっと可能性があります。大学生になると、自分の興味関心に沿って視野を広げる勉強が必要になります。我々が暮らしのなかで出会う問題には答えが出なかったり、出しにくかったりするものが多くあります。そうした問題を考えるヒントを与えてくれる施設が博物館なのです。
博物館学は、答えの出ない問題に対して多様な学びをいかに実践するか、また多様な学びを支えるために博物館がどのようなマネージメント、手法、理論を必要とするかを考える学問です。
博物館は「博情館」であるべきだという考え方があります。「博情館」は国立民族学博物館の初代館長を務めた梅棹忠夫が提唱した概念です。博物館はモノの集まる場所という理解に対して、モノはもちろんのこと、情報が集まる場所であると定義しました。
博物館の情報といえば、まずは資料を意味付ける背景情報があります。資料の背景情報を最初に記録するのは学芸員です。しかし資料に関わる情報はそれで終わりではありません。
博物館に収蔵された資料は、いわば標本です。この標本は地域の人々にとっても、さまざまな記憶や情報を喚起するきっかけとなります。人々が自らの経験を語ることのなかに、また新しい発見があることも多いのです。多様な人々の記憶、経験を蓄積することで、博物館の情報はさらに厚く、豊かなものになります。
博物館の情報は、博物館から見学者にという一方向性のものではなく、博物館と見学者との双方向性のやりとりによって育まれるものです。ですからいつでもみなさんは博物館を育てる参加者になる可能性をもっています。
双方向性を重視して情報を蓄積する行為は、個人の研究にも応用できます。研究という活動は一人で進めるものではなく、多くの人々の意見をもらいながら、新しい視点を取り入れて発展させていくものです。もちろん研究を進めていくのは一人一人の努力ですが、そこに新しい視点を吹き込み、よりよいものにしていくには多くの人々の助けが必要です。そしてそれが、研究が独り善がりにならないための秘訣でもあります。
博物館も個人の研究も多くの人々、社会に対して開いていることは大切なことなのです。
博物館が人々を巻き込んで、どのように研究を進めていくのかを私の経験から紹介しましょう。2011年3月、東北地方太平洋沖地震による津波が東北地方の太平洋岸を中心に広い範囲に到達しました。
当時、私は国立歴史民俗博物館の第4展示室をリニューアルする事業に雇われていました。そこに起きた大きな災害でした。災害が起きてみると、リニューアル事業で製作するレプリカのモデルになる予定だった気仙沼市の住宅が被災したことがわかりました。
災害後、私は上司に誘われて気仙沼に向かいました。そこに待っていたのは被災物の山でした。5月初旬から住宅のくらしに関わるものを集めました。翌年の3月までに1軒の家から集めた被災物は2万点近くになりました。
この被災物の洗浄や整理を手伝ってくださったのが、気仙沼市教育委員会と教育委員会の募集に応じてくださった市民の方々でした。集まった市民の方々の多くは被災前、博物館で仕事をしていたわけではありません。しかし被災物の洗浄の基本は家の掃除を効果的に進める方法と大きくは変わりません。それらを学んだ市民の方々は5年間かけて資料の泥落しと洗浄、紙資料の脱塩などを手掛け、現在まで修復作業を続けています。
その作業のなかで、私が出会ったのが資料化されていく被災物を前に、同じような道具を使った経験をもつ市民がほかの市民に経験を語る場面でした。人々が語り合う内容をノートに書きとめ、またビデオカメラで記録して、地域の環境や文化についての人々の理解や資料をめぐる具体的な経験を情報として蓄積してきました。
博物館の資料は、この例のように、多くの人々が関わって作業を進めるインタラクティブな環境のなかで育ちます。そしてそこに研究の場もつくられます。私は青森県内でも、このような市民と研究者との関わりを育てていく活動をできないかと思っています。みなさんも地域と結びついたインタラクティブな「博物館」をつくる活動に参加してみませんか?
私は活動の成果から被災前後のくらしをめぐる国立歴史民俗博物館の研究映像「モノ語る人びと—津波被災地気仙沼から」をつくりました。興味があれば、下記にこの成果に関する資料があるので参考にしてください。また映像を見たければぜひ訪ねてきてください。
https://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/old/f2018/pdf/eizo12.pdf
弘前大学では学芸員資格に必要な単位をすべて取得することができます。多くの人文系、教育系、理工系、農学系の先生方がそれぞれの専門の視点から講義を担当されますので、多様な視点から学芸員について学ぶことができます。
資格を得るには多くの講義を聴き、実習に参加する必要があります。その意味では決して楽ではありません。そして現在の日本の博物館事情みると、博物館の学芸員として就職する道も狭き門です。しかし狭き門も思わぬところからチャンスが巡ってくるものです。そのとき資格を持っていることが条件となります。自らの可能性を広げるために、ぜひ資格の取得に挑戦してください。
学芸員になるとは、ある道の専門家・研究者になるということです。したがって必ず自らが専門とする研究分野をもつことは必須です。そのうえで学芸員は展示のデベロッパー、展示や図録・配布物などのデザイナー、研究会や講演会・見学会などのオーガナイザー兼エデュケーター、資料保存のためのコンサベーター、博物館経営のディレクターなど、多くの仕事をすることが求められます。
こう書くとそんなたくさんの仕事をするのは無理だと思うかもしれません。しかしこうした仕事は経験がカバーしてくれます。一つずつ覚えていけば、必ずできるようになります。また多様な仕事をしていくことで、それらの仕事が互いに結びついて自らの研究活動を深めてくれます。
また学芸員にならないにしても、学芸員資格を取得することによって獲得した知識は、都道府県や市町村の文化財担当職員、教員、展示関連業者など、さまざまな分野で役に立つことでしょう。
このゼミでは博物館に関する研究、人の暮らしに関する研究、地域文化の発見と活用に関する研究などを広く学ぶことができます。
私は博物館学とともに、自然と関わって生きる人々の暮らし、文化を民俗学・生態人類学的な視点から研究してきました。私は青森県内の漁村で調査をしてきましたし、中国の山村で少数民族の暮らしを調査した経験もあります。また地域文化を教育に活用する方法の開発にも携わってきました。
博物館の研究に関することだけでなく、地域文化や人々の暮らしに興味がある学生さんがいらっしゃれば、ぜひ気軽にお声がけください。みなさんの多様な興味関心と出会うことで、ゼミがより多様性をもった視点で広がっていくことを楽しみにしています。