弘前大学人文社会科学部
文化創生課程 文化資源学コース


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ゼミ・研究室紹介

東アジア文化論研究室/王孫 涵之(助教)

東アジアという規模で漢文を考え直す

 漢文というと、中国の文章と思われる方が多いかと思います。確かに漢文は中国語、厳密に言えば古典中国語ですが、中国だけでなく、日本・朝鮮半島・ベトナムなどの東アジアの諸地域の人々もまたかつては漢文(古典中国語)で文章を書いていました。例えば、日本の古典としてよく知られている『古事記』『日本書紀』は、漢文で書かれたものです。漢字や漢文を通して、東アジアの人々が文化・経済・政治などのさまざまな交流を行っていました。やや堅い言葉ですが、このような漢字・漢文を用いた文化は「東アジア文化圏」と呼ばれます。そのため、漢文は古典中国語で書かれた文章ですが、中国人以外に、日本・朝鮮半島・ベトナムの人々が漢文で書いた文章もたくさんあります。
 近代化に伴い、漢文はラテン語・サンスクリット語と同じように日常生活から離れ、古典を解読するための古典語となりましたが、漢文によってもたされた文化は身の周りに存在しています。例えば、わたくしが生活している弘前では、地元の人々はいまでも陸羯南の「岩城山」という漢詩を語っています。また、乳井貢、工藤他山といった地元の儒学者・漢文学者がいまして、漢文で『津軽藩史』などの書籍を著わしました。このような事例は弘前だけでなく、ほかの地域も同じです。

東アジア文化論研究室

 文化資源としての漢文の潜在力の大きさは明らかですが、いかにそれを活用して社会に還元するか、いかに後世に伝えるのか、といった問題は残っています。特に国際化が進んでいる昨今の社会では、一つの国に限らず、国境線を越えた東アジアという規模で漢文の意義を考え直す必要があるでしょう。漢文に関心を持たれる方は、ぜひ一緒に考えてみませんか。


研究紹介

 中国およびその周辺のアジア諸国では、『五経』などの経書(儒教の経典)に関する学問が長く中心的な位置を占めており、政治・思想・文化に大きな影響を与えました。まさに東アジア文化の根幹と言っても過言ではありません。経書を読むためには、注釈書がなければなりません。とりわけ「述而不作(述べて作らず)」という孔子の教訓があったため、後世の儒学者たちは主に経書の注釈を通して自分の主張を述べていました。
 わたくしは経書の注釈書、その中でも特に中国の六朝隋唐期に流行した「義疏」を中心として研究しています。「義疏」は「注」よりも詳細な注釈体であるため、義疏の論議に当時の思想構造や知識体系が窺えます。そのうち、唐王朝の国定の義疏である『五経正義』は、唐以前の義疏学の集大成として頒布されてから、支配的な地位を占めていました。のちに、ほかの唐宋期の国定の義疏と合わせて『十三経注疏』として刊行され、経書学研究の基本書として歴代の学者に読まれています。しかし、『五経正義』はそれ以前の義疏に基づいて編修されたものです。唐以前の義疏がほとんど散逸してしまったため、『五経正義』のどこが六朝の旧説でどこが唐人の新義かを区別するのは非常に困難です。

東アジア文化論研究室

 日本は早くに経書の義疏を受容したため、中国で亡佚した皇侃の『論語義疏』や『礼記子本疏義』などの六朝の義疏は、かえって日本に保存されています。また、清原家などの経書の訓点資料や抄物にも義疏に関する情報が見られます。いまはこれらの日本の文献資料を利用し、文献学・思想史などの角度から、義疏の注釈史を検討しています。最新の研究成果については、リサーチマップのhp(https://researchmap.jp/wangsun)をご覧ください。

東アジア文化論研究室

授業について

 講義は前期と後期に分けて、思想と文学の名文を読み、漢文読解の基礎を学びます。通年の演習は『論語』を対象として、校勘学・訓詁学・書誌学などといった文献学の研究手法、そして訓点資料や抄物の扱い方を学びます。講義と演習を通して、漢文の読解力を養いながら、関心がある研究課題を見つけることが期待されます。

東アジア文化論研究室

ゼミについて

 漢文であれば、文学・思想・歴史いずれの研究も可能です。教員はアドバイザーとして、ゼミ生の研究をサポートします。それぞれの関心に応じて、基本の文献資料と最新の研究を会読します。その過程で卒業論文を構想し執筆することが期待されます。



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