みなさんはこれまで、どのような場面で文学に触れる機会がありましたか。たとえば小中学校時代、夏休みの宿題で読書感想文を書いた経験があるのではないでしょうか。登場人物に同情を寄せたり、登場人物を理不尽な状況に貶めている物語世界そのものに憤りを感じたり、また教訓を得たりすることもあると思います。本を読み、どのような感想を抱くかは人によって異なります。読書感想文では、人によって異なる感想のなかでも、ユニークな観点から書かれた文章が高く評価されるのだと思います。
また、高校生のみなさんの多くは、大学共通テストをはじめとした入学試験対策を通して文学的文章に触れる機会もあると思います。そこで問われるのは、誰が読んでも同じように伝わることを、同じように読み取ることができるかどうかです。したがって、ほとんどの場合、解答は一つになります。
文学研究は、読書感想文を書くこととも入試国語を解くこととも少し違います。もちろん、この二つは研究の前提にあります。小説を読んで「面白い」と感じることは研究に踏み出す一歩になるでしょう。次なる一歩は、小説の面白さを説明することにあります。「面白い」という感想はその人にしか理解され得ないものですが、どのようなところに面白さがあるのかを説明することは、小説の魅力を他者と共有可能なものにします。また、大学入試国語では解答は一つですが、文学研究を通して行われる小説の解釈は一つではありません。
授業ではナラトロジーの分析概念に基づき、〝WHAT(何が書かれているか)〟ではなく〝HOW(どのように書かれているか)〟に着目して文学テクストを読み解く方法を身につけます。たとえば、村田沙耶香の「星が吸う水」(2009年)という短篇には、「異性愛か両性愛か、まだ制作中」の鶴子や、「恋愛感情や性欲を持たない体質」の志保、性別を二元的に捉える異性愛者の梓という三人の女性が登場します。梓という人物が登場することによって、鶴子と志保を異性愛主義といった既存の性規範を相対化し得る存在として読み取ることができそうです。
ですが、〝HOW(どのように書かれているか)〟の問いに基づいて小説の記述を読んでみると、ことはそう単純ではないことがわかります。本作は三人称語りの小説ですが、物語世界を見ているのは誰かを考えてみると、視点(焦点化ともいいます)は鶴子にあるとわかります。つまり、鶴子の認識や知覚に基づいて語られているということです。それを踏まえると、志保が自らのセクシュアリティを鶴子にカミングアウトする重要な場面において、鶴子の居心地の悪さが語られていることには留意が必要です。鶴子は「こっちのほうが、景色いいかもよ」と志保に言って、鶴子の視点に立つことを志保に促します。(本文中で、鶴子の横へ〝行った〟のではなく志保が「きた」と語られている点からも、視点は鶴子にあるといえます)。すなわちここでは、志保を自らの視点に引き寄せることによって鶴子は自身の居心地の悪さを解消しようとしているといえるでしょう。ジェンダーやセクシュアリティを問題化している本作において、セクシュアリティの異なる他者を自らの視点に立たせ、同じ「景色」を見るように促す描き方がなされていることを、みなさんはどのように評価するでしょうか。いっけん既存の性規範にとらわれない、多様な性のありようが描かれているかに見える小説でも、分析的な読解を行うことによってその評価は変化し得ることがわかります。
〝WHAT(何が書かれているか)〟に注目して、ストーリーの面白さや登場人物のキャラクターに魅了される読書の仕方も楽しいものです。ですが、〝HOW(どのように書かれているか)〟の観点から読み解くことは、表層には立ち現れないテクストの深部に触れ、私たちが自明視してきた価値観や、内面化された私たちの視点を相対化する契機になります。私は、文学研究の醍醐味はここにあると考えています。語る言葉や、語る方法があって初めて認識が生まれ、新しい見方が創出されます。文学研究は、そうした新しい見方を生み出す営為だと思います。
このゼミでは、日本近現代文学に関する研究を広く行うことができます。私自身これまで、坂口安吾、武田泰淳、大岡昇平、川端康成、三島由紀夫、山田詠美、金原ひとみ、村田沙耶香などのテクストを、時代や作家を超えて横断的に研究してきました。また、雑誌などの出版文化に関する研究にも携わっています。ゼミでは学生さん自身の関心を尊重し、それぞれの問題意識に寄り添った研究指導を心掛けています。
私は、文学研究とは、テクストを通して社会的・文化的背景の異なる他者と対話することでもあると思います。自分とは異なる価値観や意見を引き受けられる力や、自分の考えを言語化し伝えるための表現力を培うきっかけになり、他者への想像力を具体的なものにすると考えています。それは未知で不条理な世界を生き抜くための力にもなり得るはずです。文学の魅力を自分の言葉で説明したいと考えている学生さんと、一緒に学んでいけたら嬉しいです。