「フランス文芸」という学問分野は、おそらく存在しません。とりあえず便宜的に使われている言葉です。でも、私は気に入っています。最初は戸惑いましたが。普通は、「フランス文学」とか「フランス哲学」いうのがアカデミックな分類名称で、私は「フランス文学・語学」という看板を背負って学生時代から勉強してきたからです(私が集中して勉強してきたのは、20世紀のフランス文学です)。でも、それでは、文学・語学と哲学が分けられてしまいます。そして私は、文学も語学も哲学も好きです。それに、文学や語学や哲学だけでなく、また絵画や演劇や映画や音楽、それに付随する楽しいことお面白いことが好きです。そして、文学や哲学や絵画や映画や音楽は、なにもフランスだけに限りません。イギリスにもドイツにもロシアにもアメリカも日本にも、そしてもちろんそれ以外の国々や地域にもそうしたものがあり、私はそれらを見たり読んだり聴いたり味わったりするのが大好きです。「文芸」に戻りますと、この言葉がそうした芸術、娯楽、趣味を広く含む言葉であると少々強引に解釈するとすれば、それこそこちらにとってもってこいの名称です。とりあえず「フランス文芸論」とは、どこかでフランスにかかわるそうしたさまざまな事柄に触れ、探る試み、そう理解してもいいかもしれません。
でもそれは、たんなる趣味や好みであって、学問や研究ではないのではないか、そういう批判が聞こえてきそうです。確かにその通りかもしれません。学問や研究は、好きや楽しいだけでは成立しません。毎日の地道でまじめな努力がなくでは、自分にとって大切なものを見つけたり、それを本当に理解したりすることはできません。学問が成立しません。しかし私は、学問の根底にはなにより「愛」(!)がなければいけないと思っています(それに、あるフランスの文芸批評家は含蓄のある言葉でこう述べています。「人は常に愛するものを捉えそこなう」と。正しくは「語りそこなう」ですが、私はいつもこう誤解して記憶しています)。話しがちらかってきたので、最後にもう一つのことを紹介して、こうしたあいまいな記述に終止符を打ちたいと思います。先ほどとは別の、あるドイツの哲学者は、自分の著作の一つにこういうタイトルをつけています。“Gaya Scienza”。これは『楽しい学問』あるいは『悦ばしき知恵』という意味です。私の目標と理想です。
次に、授業について話します。専門科目では、「欧米文化論A」という授業をやってきました。そして今度新しく「地域基礎論A」を担当します。年ごとに取り扱うテーマは違いますが、「欧米文化論A」では、これまで19世紀・20世紀のフランスの文学・思想・文化を扱ってきました。この間は、19世紀後半を舞台とする、小説家ゾラと画家マネあるいは印象派の関係を扱いました。ゾラとマネあるいは印象派の画家たちとの交流関係を出発点に、ある時代に共存した「文学」と「絵画」の緊密な影響関係、そして、同じ芸術という分野に属するこれら二つのジャンルから生み出される作品の内容や形式の決定的な違いなどについて受講者と一緒に考えました。「地域基礎論A」については、もう少し視野を広げ、フランスを中心とした、様々な時代の社会や文化や歴史的出来事をとり上げて、フランスとは結局のところどういう国であるのか、フランス人とはどういう人たちであるのかということを、直に対象に接近しながら、あるいはヨーロッパや世界という視点から見て考えていきたいと思います。
最後にゼミについて話しますと、ゼミは3年生と4年生とが合同で同じ時間に行います。基本的には、毎年、一つないし複数の文献をテキストに決めて、皆でそれを読んでいきます。そして、時々、担当者を決め、発表してもらい、皆でその発表についての意見や疑問点を披露してもらい議論します。
このやり方には、ゼミは通常の授業と異なり、教員側の一方通行的知識や謬見の押し付けではなく、学びの主役は皆さんであるわけですから、以下の狙い目的があります。まず、テキストを漫然と読み進めるのではなく、その中に積極的に飛び込んでいくことによって、まずそのテキストに何がどのように書かれているかを自分で確認すること、そして自分が読んでいるものを自分が本当によく理解しているのか、それが果たして自分にとって面白いのかそうでないのかをよく考えて反省すること、そしてまた他の人も同じようによく理解してそれを面白がっているのかそうでないのかを互いに確認し合うことです。もし、そこで齟齬が生じれば、むしろそれは歓迎すべきことです。そこからお互いの話し合い、議論がはじまるからです。理解力や考え方や好みの違いのせいかもしれないし、あるいは、テキストに関する問題、例えば、それを読むための前提的知識を持っていなかったとか、書かれた歴史的・社会的背景などの知識が欠けていたのかもしれません。あるいは、そのテキストは誰にとっても、一度読んでもすんなり理解できないような超難解な内容なのかも。場合によっては、それを書いた著者が自分の書いたものをよく理解していなかったということもあるでしょう。これは冗談を言っているのではありません。書いた著者本人といえども、自分の作品をすべて理解しているとは限らないからです。そして、えてしてそういう場合、そういうわからない箇所に、作品の本当の面白さや価値が潜んでいることがあります。
こうして、テキストの問題性や謎を積極的に明らかにしていくことで、テキストに徐々に、しかしながら着実に接近し、できるだけ核心に達することがゼミの目的の一つです。
もう一つあります。4年生は、各自、卒業論文を作成していきますので、ゼミのなかで、その進展状況を披露してもらいます。テーマはできるだけ自分で探して、決めてもらいます。こちらでは、卒業論文のテーマ決定については、口出ししません。自分で決めてもらいます。文学作品でも、それ以外の思想・芸術作品についてでも、あるいは文化や社会的な事柄についてでも、こちらのサポートできる範囲のものを自由に選んでください。