アメリカ文学研究の最終的な目的は、人間とその文化の成り立ちを究明することだなどと言ったら大風呂敷を広げすぎだと思われるかもしれません。しかし他の人文系の諸分野と同じく、文学研究も究極的には、過去の人間の営みに照らし合わせて、これから人間がどのように生きていけばよいのかを考えることを目指しているという点では大きな違いはありません。アメリカ文学研究が他の人文系の学問と違うとすれば、主にアメリカで産み出された文学テクストの読解をとおしてその探究を行うという点に特徴があります。
しかしこれを読んだ人のなかには、こう思われる人もいるかもしれません。「なぜ日本じゃなくて、アメリカなの?」と。実はわたし自身も、この問いをこれまで何度も自問してきて、いまだに確たる答えにはたどり着いていないことを白状しなくてはなりません。ただひとつ言えるのは、アメリカはわたしにとって、幼い頃から近くて遠い存在、ものすごく身近だが同時によくわからない存在であったということです。そして、この「身近な他者」のレンズをとおすことで、自分が生まれ育った「日本」についても、一歩下がった視点から(文学理論の用語を使えば)「異化」しやすくなったと感じています。
それでは、なぜ文学テクストなのか?という点についてはどうでしょうか。他のメディア--たとえば絵画や映画や音楽--ではダメなのでしょうか?もちろんそんなことはなく、文化の諸過程において作り出された生産物はすべて「文化的テクスト」として「読解」の対象となります。ここにはいわゆる芸術作品だけでなく、必ずしも文化的価値を認められていない広告やさまざまな私的文書なども含まれます。実際、昨今の文学研究は文学テクストと他のメディアとの交錯をますます問題とするようになっています。そうしたなかで特に古典的な文学作品を焦点とするのは、それがこれまで広く人々に読まれてきたという実績にくわえて、だれでも安価にアクセスしやすいという点、それから、古典的作品には古くからの研究の積み重ねがあって、初学者でもすでに確立した道標にしたがって研究を進めていけるという利点があるからだと考えます。研究の最前線に行けば行くほど道標どころか道自体が見当たらない荒野をさまよっているような気分を味わうことになるかもしれませんが、そこで野たれ死にしないためにも、その前段階として古典的な文学テクストを使ってある程度のトレーニングを積んでおくことの賢明さを疑う人はいないのではないでしょうか。
上記の説明を読んでも、なぜ文学なのか?という問いには答えてないじゃないかと憤る人がいるかもしれません。つまり、文系の他の分野にも古典的な研究があり、そちらでも道標となってくれるよき指導者さえいれば、入門的なトレーニングを積むことは十二分に可能ではないかと考える人がいるかもしれません。そのような疑問に対しては、そのとおりと答えるよりほかありません。わたし自身が研究の道に入ったのも、もっと文学を知ってみたいと思わせてくれたいくつかの作品にたまたま出会ったからにすぎません。確かに文学は、古代の偉い哲学者が指摘したように、単なる二次的な作り物以上のものではありません。しかしそうした批判にもかかわらず、人間はこれまで多くの物語に泣き笑い、よい方向にも悪い方向にも突き動かされてきました。その原動力を探究していくことは、人間と文明の成り立ちを知るための重要な鍵となるのではと考えて研究を行っています。
現在は、十九世紀アメリカの元奴隷の指導者フレデリック・ダグラス(1818〜95年)に代表される逃亡奴隷体験談を起点として、二十世紀前半あたりまでのアフリカ系アメリカ人文学の発展に関心をもっています。ダグラスについては、最初の自伝(1845年)の邦訳がすでにいくつか刊行されていますが、南北戦争へと至る南北対立がますます激化しつつある時期に執筆された第二自伝『私の隷属と私の自由』(1855年)はまだ邦訳がなされていないので、現在全訳を試みています。並行して、十九世紀において世俗的科学的思考の広がりが、同時代の物語の発展にどのような影響を与えたのかについて、さまざまな文化的テクストの読解をとおして研究を行っています。
アメリカ文学ゼミナールでは主に文学作品を読解することをとおして、文学テクストを産みだした同時代の文化的背景についても考えていきます。卒業研究では上でも述べた理由により文学作品を扱う方が取り組みやすいと考えますが、学生の関心に応じて文学以外のアメリカ文化に関するテーマでもまったく問題はありません。
これまでにアメリカ文学ゼミナールで書かれた卒業研究の例としては以下のようなものがあります。
・ エドガー・アラン・ポオの作品における動物の象徴性
・ ホーソーン『緋文字』原作と映画版の比較研究
・ 『ハックルベリー・フィンの冒険』におけるモラルジレンマについての考察
・ アメリカの児童文学における黒人の扱われ方
・ 『グレート・ギャッツビー』における語り手の研究
・ ラルフ・エリソン『見えない人間』研究
・ アーシュラ・ル=グウィン『闇の左手』のジェンダー論的研究
・ トニ・モリスンの『青い目がほしい』と『神よ、あの子を守りたまえ』における他者
・ ポール・オースター『ティンブクトゥ』における犬の語りの研究
・ アメリカにおけるスーパーヒーローの誕生と需要
・ アメリカ音楽における黒人音楽の影響