弘前大学人文社会科学部
文化創生課程 多文化共生コース


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ゼミ・研究室紹介

日本史研究室/古川祐貴(助教)

「答え」を探し出す学問

 「日本史」という言葉を聞いて、胸を躍らせる人もいれば、中には嫌悪感を抱く人もいるでしょう。後者の多くは中学校、あるいは高等学校における「日本史」の授業で、暗記に次ぐ暗記によって心が疲弊してしまった人たちではないかと思います。「日本史は暗記物ではない」、とお題目のように掲げられますが、結局は暗記しないと点が取れない現状に辟易してしまっている方も少なくないでしょう。これで「日本史」を好きになれという方が、どだい無理な話なのかもしれません。
 しかし、大学の「日本史」に暗記は必要ありません。語呂合わせで覚えた知識も一切必要ありません。むしろ暗記させられた「日本史」の教科書を疑い、自身の歴史観をたくましくしていく作業が必要です。ただ疑うと言っても闇雲に疑えばよいというものではありません。「これはどういうことなのだろう?」と疑問に思ったら、まず「答え」が書いていないかどうか関連する書籍や論文を徹底的に調べるのです。大抵の場合、「答え」は書いてあるものです。中にはどれだけ調べても「答え」のないものがあります。その場合はしめしめと思ってください。卒業論文のテーマになるかもしれません。
 「なぜ?」と思うことはとても重要なことです。疑問を持つということは真摯に向き合っていることの証だからです。意識が向いていなかったり、惰性で聞いていたりするだけでは疑問は浮かんできません。私は授業においても必ず学生たちに「なぜ?」と問うように指導しています。毎回リアクションペーパーを書いてもらっているのはまさにこのためです。勿論、自身の授業を見直し、改善していきたいという気持ちもあります。リアクションペーパーを面倒臭いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、疑問を持つという習慣を身につけていただきたいという一心でやっているということは理解していただきたいと思います。人の話を聞き、しっかりと自分の意見(疑問)を持つこと。――これは社会に出てからもとても重要な要素になってくるはずです。


塚本靖(東京帝国大学教授)が設計した京城駅(@韓国・ソウル駅)

包丁で麺を切って作られることに由来するカルグクス(@韓国・明洞餃子)

教員の専門&キャリア

 「日本史」と言っても何も日本のことだけをやっているわけではありません。日本の歴史は常に「外」の世界との関係の中で成り立ってきました。私の専門は近世日本(江戸時代)の対外関係全般ですが、特に近世日朝関係史と言って、朝鮮王朝(1392~1897年)との関係を中心に研究を進めています。朝鮮王朝、あるいは朝鮮半島周辺の状況が、日本(江戸幕府)に大きな影響を与えることがあったのです。逆に日本が朝鮮王朝や朝鮮半島周辺に大きな影響を与えることもありました。そうした相互的な関係が日本の歴史においてどのような意味を持ったのか。このあたりの事情を考えながら、日々歴史資料(古文書)に向き合っています。
 自身の研究のことを少し述べましたが、今の研究に至るまでには紆余曲折がありました。私は当初、出身である長崎(長崎県長崎市)のことを研究していました。学部時代も大学院時代(修士課程)も、全て長崎のことで論文を書いてきました。しかし、博士課程進学と同時に、日本と朝鮮半島との間にある離島=対馬(長崎県対馬市)にある博物館で学芸員として働くこととなり、そこから日朝関係史という未知のテーマに足を踏み入れるようになりました。初めの方は勝手が分からず、「なぜ?」を連発していたように思います。壁にぶつかるたびに書籍や論文を調べ、それでも分からない場合は歴史資料(古文書)に当たる、といった作業を毎日毎日繰り返していました。いつの間にか日朝関係史の専門家として研究会に呼ばれるようになり、関係する論文も執筆できるようになりました。執筆した論文を取りまとめることで、日朝関係史だけを扱った博士論文も完成させることができました。そして今、弘前大学に日本史教員として立つことができています。


宗義方(対馬藩5代藩主)が徳川家継(江戸幕府7代将軍)へ提出した起請文控(@長崎県対馬歴史研究センター)

国の天然記念物としても知られる対馬市の木=ヒトツバタゴ(@長崎県対馬市)

憧れの○○!?

 「日本史」好きの中には戦国時代や幕末のことで卒業論文を書きたいという方もいらっしゃることでしょう。憧れの戦国武将がいたり、幕末志士のカッコよさに魅かれたりする気持ちは私自身もよく分かります。ただ卒業論文は単なる憧れだけでは書くことができません。論文という体裁をとる以上、これまでにない何か新しいことを述べる必要があるからです。憧れる人が多いところほど、新しいことを述べるのが困難になるということは理解できると思います。しかし、新しいことを必要以上に難しく捉えることはありません。純粋に「なぜ?」と思ったことを、理由や根拠を挙げて自分なりに説明していけばよいのです。解決の仕方に悩んだときには、私を含めた研究室のみんなで考えましょう。一人で悩むのではなく、みんなで切磋琢磨してよりよい研究ができるようにしていきましょう。そのような環境に身を置いて卒業論文を書いてみたいと思った方は、ぜひ一度日本史研究室のドアを叩いてみてください。やる気のある方たちが集まってくれることを教員として切に願っています。


徳川家光(江戸幕府3代将軍)の廟所である大猷院(@日光山輪王寺)

「柳川一件」で弘前に流罪となった柳川調興の墓(@太平山長勝寺)
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