卒業生インタビューシリーズ
創造者 の翼に
第1回:作家・小説家 矢樹純さん
弘前大学人文学部卒業
プロフィール(やぎ・じゅん さん)
1976年、青森県生まれ。本学部を卒業後、総合スーパーに就職。結婚と出産を経て、漫画の原作者になり、その後、小説家をめざす。『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』(宝島社文庫,2012年)、『あいの結婚相談所』(加藤山羊・矢樹純, 小学館, 2014)などを発表し、小説「夫の骨」(祥伝社文庫『夫の骨』所収, 2019)で第73回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
矢樹純『夫の骨』(祥伝社刊)
就職してから漫画原作者をめざすまで
——大学卒業後の進路は?すぐに小説家になったのではないと伺っています。
【矢樹さん】 私が卒業した頃は就職氷河期と言われていました。その頃から結構ぼんやりした人間だったので、氷河期なのに就職活動も結構出遅れたんです。「周りがバタバタ動いてるな」というのを見て、遅れて動き出したのですが、なかなか内定ももらえず、どうにか就職できたのが総合スーパーでした。自分で考えながら働ける仕事だったので、やりがいがあったのですが、就職して3年目に弘前大学で出会った夫と結婚することになりました。将来子どもを産んで育てるときのことを思うと、互いの実家から遠く離れた場所で暮らすことになりそうだったので、実家の手助けがなく子育て大変だぞというのを現実的に考えまして、在宅の仕事をしようと思ったのです。
そのときに在宅の仕事をいろいろ調べました。本がすごく好きだったので、校正者を目指そうと思い、資格を取る通信教育を始めていました。そして、もう一つの在宅の仕事として、漫画原作を妹と組んで、漫画家として合作をしながら活動しよう。もう一つの道として、夢も成功したらいいなぐらいの感じで始めたのが、漫画原作の道でした。
漫画原作者として
——なかなか漫画の原作者になろうとは、考えないと思うのですが・・・。
【矢樹さん】 妹なんですよね。私は三姉妹の長女なんですけれども、組んだのは二女なんですね。真ん中は思い切りがよくて、彼女は大学生のときに「漫画家になるわ」と決めちゃったんです。(笑)そのときに、昔から漫画を共有して一緒に読んできたので、「お姉ちゃん、一緒に組んでやらない?」と誘ってくれて、私がお話をつくることになりました。私一人だったら、ないですね。慎重な性格なので。(笑)
——度胸ありますよね。普通なら妹さんに「いや、そんな夢を見ても」、「もっと現実を生きようよ」と言うべきところを、そういかないところがすごいですね。
【矢樹さん】 そういかないところは、ちょっと壊れていたかもしれないです。(笑)
——そんな感じで漫画の世界に飛び込んで、次々に作品を生み出されました。特にテレビ朝日でドラマ化された『あいの結婚相談所』で非常に注目されます。「成婚率100%」をうたう結婚相談所の話で、所長さんが「元動物行動学者」という、聞いただけでわくわくする設定です。このような作品を生み出された頃、どんなお気持ちで活動されていたのですか。
【矢樹さん】 ドラマ化の話が来るまでの間、ずっと売れてなかったんです。担当さんは「アンケートの結果はいいんだけど単行本が売れない」、「知名度が作家としては低かったので」とフォローしてくれていたんですけど、本が売れていなくて、いつ連載が打ち切りになってもおかしくない状態で何年も続けていました。最後の最後でドラマ化してもらえたけれども、そのときには打ち切りが決まっていたくらいのタイミングでした。(笑)気持ち的には常に追い詰められた状態で。でも、追い詰められた分、雑誌の中で一番おもしろいぐらいの話を書こうというふうに毎回すごく気合は入って書いていたので、頑張りを評価されて、最後は見つけていただけたのかなと。
加藤山羊・矢樹純『あいの結婚相談所』1(小学館刊)
小説家をめざす
——その頃は非常に忙しかったのではないですか。
【矢樹さん】 そうですね。追い詰められていたというのもあって、漫画原作だけじゃどうかなと思って、小説家を目指したというのもありまして。「いつこの仕事がなくなってもおかしくないな」って思ったときに、もう一つ、最初に校正者を目指したときもそうですけれども、慎重な性格なのに冒険するという感じなんですかね。(笑)慎重な性格から選ぶ道が何か間違っている感じがするんですけど、新人賞に応募しようと思って小説を書き始めたんです。
——「書いてみよう」と考えて、実際に書き始める人もそういないと思うんですが、何か自信があったんですか。
【矢樹さん】 書いてみようと思う小説のアイデアを先に思いついたんです。「これは小説でしかできないようなお話だな」と。漫画はその頃、短いお話ばかり書いていたので、「この話は小説でしか書けないな、でも、おもしろいからいけるんじゃないかな」というのがあって、「じゃあ、小説の形で書いてみよう」と思って書きましたね。
——不思議な縁です。その作品が宝島社から出た『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』です。
【矢樹さん】 デビュー作です。
——第10回『このミステリーがすごい!』大賞(通称「このミス」)に応募されて、「隠し玉」に選ばれました。
【矢樹さん】 大賞などではないんですけど、文庫で出版していただける賞になります。
矢樹純『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』(宝島社文庫)
苦しいときに持つべきもの
——それで出版されましたが、この頃はいかがでしたか。
【矢樹さん】 残念ながらデビュー作が売れなかったんですよね。だから、同じところで2作目を出すというのが難しくなってしまって、そこから結構、何年も次の作品が出せないという状況で、個人出版というんですけれども、電子出版で出版を続けて、最終的には、著者エージェントの会社にお願いして、こちらを本にできないでしょうかという相談をさせていただいて、そこで2作目を出してくれるという出版社を探していただいて、2作目を出すことができました。
——私も『Sのための覚え書き』を読ませて頂きました。ストーリーとしてすごくおもしろいのと同時に、現場の情景が見えるような描写がすばらしい作品と思います。多分、書かれたときは「これだ」と思ったんじゃないかと想像しますが。
【矢樹さん】 そうです。いけると思ったんです。(笑)
——なんだけれども、結果的に販売の点では売れなかったと。
【矢樹さん】 そうなんですよ。
——くじけそうになることはなかったんでしょうか。
【矢樹さん】 2作目もそうなんですけれども、自分の作品がおもしろいという自信を持っちゃってるんですよね。おもしろいとしか思えないので、「じゃあ、絶対世に出すべきだ」と思ってしまって、そこも壊れているのかもしれない、何かが。(笑)
——漫画原作者として多く作品も出されてきたし、そういうのもあっての自信なんですか。それとも、よくわからない自信でしょうか。
【矢樹さん】 客観的だと思いますよ。さすがにそうだとは思うんですけど、でも、自分の作品はおもしろいという自信がありましたね。今もありますけど。
流行作家として
——その後、2019年に祥伝社から短編集『夫の骨』が出版されました。表題作で「日本推理作家協会賞(短編部門)」を受賞されています。それをきっかけに、今度は2020年に新潮社から『妻は忘れない』が出版されました。次作が近いうちに、12月には出版予定だと伺っております(光文社から、単行本『マザー・マーダー』として出版)。作品はいずれも緊迫感漂う緻密なものですが、執筆するにはどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
矢樹純『妻は忘れない』(新潮社刊)
【矢樹さん】 今は短編のご依頼をいただくことが多いので短編の話をしますけれども、売れなかった時代に編集者の方から「力をつけるために短編を書くのを練習してみてはどうか」とアドバイスいただいて、そこで初めて短編を書き始めたんです。その編集者さんに「月に1作というふうに自分で締め切りを決めて、最低10作、1年ぐらいかけて頑張ってみて」と言われて、それが私の短編を書き始めたきっかけというか、修業時代なんですけど、いまだに書き方はそのときのスケジュールでやっています。月に1本書いていたときの感じで、日にちでいうと、5日ぐらいでプロットといって全体の起承転結のアイデアをつくります。5日かけてつくったものを倍の10日かけて原稿にします。原稿は今だと70~80枚ぐらいで書くことが多いです。それを2~3日かけて推敲して、文章を整えて編集さんに見ていただいて、「ここ直して」というふうにアドバイスいただけるので、それをまた2~3日かけて直して完成という感じですね。日にちとしてはそんな感じです。
——5日でプロット(筋立て)を考えるということは、素人からするとすごく早いと思うのですが。
【矢樹さん】 短編だと、私は何とか大丈夫です。出にくいなというときもあるけれども、最長5日で、早ければ3日とかで仕上がることもあるので。皆さんどれぐらいなのか分からないですけど。
——もしかしたら読者の方は、短編のほうがやさしくて、長編のほうが難しいんだと思われているかもしれません。短編だからと思われているかもしれないんですが、短編のほうが難しいというのはよく言われることだし、短編で完成されたストーリーをパシッとつくるというのはすごく難度の高いことですよね。
【矢樹さん】 漫画の経験が生きているっていうか、漫画のワンエピソード、1話というのが短編とお話的に同じくらいのボリュームなんですね。だから、多分、経験もあるのかな。つくりやすいっていうのがあると思います。今、話していて気がついたんですけど。
——相性もあるのかなと思いますが、いろいろな経験は、思いもよらず幸いするものですね。ところで、取材や勉強などはどういうふうにされているのでしょうか。
【矢樹さん】 自分の就いたことのない仕事について書くのであれば、その仕事をされている方に話を聞けるのが一番なんですけれども、その職業の方が書いた本を読むことを含めて、その仕事についての取材をします。最新作の中でも医療関係の仕事をしている人物が出てきたときは、私の母が看護師だったので、母に取材をして、コロナ禍だったので、電話で結構長々と話を聞かせてもらってすごく助かりました。
矢樹純『マザー・マーダー』(光文社刊)
——「あ、これだ」と思うものが入ってきて、プロットをつくるのですか。
【矢樹さん】 話を大まかにつくってから取材なので、これこれこういうことが聞きたいというのをまとめて聞くようにしています。取材はプロットの後の段階でやります。
——なるほど。ディテールのために取材をしたり、調べものをしたりするのですね。先生の作品は、思わず話に没入してしまうリアリティがすごいと思っていましたが、地道な準備があってのことだと分かりました。ここまでお話を伺い、作家というのは非常に厳しい世界であることを改めて感じつつ、日々ひたむきに仕事をされ、時折偶然の中で針路を変え、その結果「こんな道になった」というお話で、大変な勇気をもらいました。
これからの夢
——最後になりますが、先生の「これからの夢」はいかがでしょうか。
【矢樹さん】 私はデビューしたのが30代半ばで、今、10年ぐらいたって40代半ばになっているんですけど、書くごとに自分が成長してるっていうのがすごく分かるんですね。だから、「これから先も成長していって、いつかもっとすごい小説を書けるようになりたいな」と、それが夢ですかね。書くごとに上手になっていく、成長していくのが分かるので、この先もずっと書き続けられるように頑張りたいですね。
——「書くごとに成長を実感している」ことは、「これがおもしろくないわけがない」という信念もそうですが、客観的に自分を見て、自分を信じていることに他ならないと思います。そういったことが、夢を追いかける上で大切なんだろうと思いました。どうもありがとうございました。
【矢樹さん】 ありがとうございます。
オンライン収録の風景
(収録は2021年11月29日、オンラインにて)
第2回は、作家・小説家の古矢永塔子さんのインタビューを予定しています。